これは真っ先に取り上げるべき事柄だったでしょうが、つい、遅くなってしまいました。明治初年、田中芳男 男爵によって、ストレリチアは初めて日本に紹介されました。これは記録が定かではありませんが、1871年から1873年にかけてアメリカとヨーロッパを視察した「岩倉使節団」の時のことと思われます。
田中 男爵は園芸の発展に大いに力を尽くした人で、数多くの園芸作物を我が国に導入しています。ストレリチアも、その一つだったのです。しかし、我が国では、イギリスで起きたような熱狂的な騒ぎとはなりませんでした。なにしろ、明治維新の混乱の最中です。とても花に関心を向ける余裕など無かったことでしょう。
遙々と海を渡ってきたストレリチアは、東京大学 付属 小石川植物園に植えられました。しかし、戦争が続いた時代、しかも、観光施設ではなく、大学の研究施設です。知る人ぞ知る、存在で、ひっそりと生き続け、現在に至っています。戦後、平和な時代がやってきて海外から別ルートで入ってきて、ストレリチアが、ようやく人々に知られるようになったのです。最初のストレリチアは増殖された様子もなく、ひっそりと生き続けている、歴史的存在、とも言えるでしょう。ストレリチアには、その株の持つ園芸上の価値とは別に、歴史的な意味を持つものもある、ということです。
私がストレリチアを手がけるようになったのは、田中 男爵に遅れること100年、その頃でさえ、「異国情緒あふれる、初めて見る、珍しい」との印象でしたから、明治初年の混乱期に、この花に魅せられた田中 男爵に敬意を表さずにはいられません。