近頃の世の中は、こと花に関しては穏やかな状況が続いています。でも、分かりません。
或る花が突然、スターとなってブームを巻き起こし、大勢の人々が巻き込まれ、大騒ぎとなるようなことが起きるかもしれないのです。でも、これは私たちの歴史の中で、何回も起きてきたことですから、また、起きないという、保証はありません。
まず起きたのは、オランダの「チューリップ狂、チューリップ騒動」でした。それ以前にも同じようなことは、少しあったでしょうが、人々の集団は小さく、それぞれが孤立していて交流することは難しかったために流行が広まることはなかったのでしょう。
17世紀のオランダでは、国中の人々が熱中して、誰もが我先に球根を手に入れようとバブル経済を起こしてしまったのです。最初は好きで、趣味で始まったものが、いつのまにか金もうけの手段にまでなってしまったのです。バブルのことですから、やがて、はじけてしまいましたが、研究の成果は残って、現代でもオランダは球根を初めとする花の生産では政界のトップレベルの存在になっていますから、満更、悪いことばかりではなかった、といえるでしょう。
我が国でも、将軍「家光」の時代頃から園芸が盛んになり、盆栽、オモト、ラン、を初め、各種の植物がもてはやされ、何回もブームが起きてきました。それが現在に続いているわけです。シュロ竹、カンノン竹、東洋ラン、洋ラン、さつき、エビネ・・・と次々に人々を魅了してきました。ふだん、冷静なときには、気にも止めず、無視していたものが、一旦、流行したとなると、それが光り輝く宝物に見えて、手を出さずにいられなくなってしまう人間心理のせいでしょう。
では、ストレリチアはどうでしょうか。まだ新しい花ですからっブームに乗ったことはありません、しかし、資格は十分に備えていますから、スターになる可能性は確かにあるといえるでしょう。でも私は。そうなって欲しくないと思っています。いままで登場した花は、チューリップのように伝統として残ったものばかりではないのです。その多くは退場したきり、忘れ去られたり、評価が下がってしまったり、と末路が良くないものが多いのです。打ち上げ花火のようには華々しく登場しても、はかなく消えてしまうのはストレリチアの本性にそぐわないと思うのです。何百年、いや千年以上も生きる植物が、わずか数年の輝きなど、無くたっていいではないですか。ストレリチアは静かに、ひっそりと、その価値を認められ続けることが似合っていると思います。とにかく、細くても、長く続いてもらいたいのです。
さて、余計なことながらブームとは、どんなメカニズムで起きるでしょうか。これが分かる人は誰もいません。せいぜい、言えることは、「それが時代の流れ、風潮に合ったからだ」という程度で、では、そのきっかけは、どうやって起こるのかまでは分かりません。「ストレリチアの本来の価値を認めてれくれる」これで十分です。