ストレリチア秘話No.261 ストレリチアの入手の難易 

 ストレリチアを南アフリカから文明世界へ初めて紹介したのは、キューガーデンの監理者、バンクス卿によって派遣された、フランシス マッソンでした。ストレリチアを採集したのは、アフリカに慣れてきた第二回の時とされています。

 その頃、南アフリカは、未開で、せいぜい、ケープタウンが開け始めたぐらいで、町から50マイル以上離れたら、もう、安全は保証されなかった時代です。敵意をもった原住民に襲撃されたり、もっと危険だったのは、同じ白人でも反イギリスのボーア人(オランダ系)の悪意に満ちた行動だったといわれています。捕まって奴隷にされかかったこともあったと伝えられています。野生動物より、なにより、人間が一番、危険なのです。(私の経験では、今だって似たようなものです)そんな状況の中、マッソンは1788年に第二回、二百マイルの採集旅行をしたのです。東ケープ州のストレリチア自生地まで到着出来た距離です。道など、ろくろく無い未開の土地で、馬車が使えたか、どうか分かりませんが、ストレリチアを掘り上げて持ち帰る苦労が、どれほどだったか想像もつきません。それに比べれば、200年も後の、日本人の私がストレリチアの親株を南アフリカから持ち帰った苦労などは問題になりません。

 現代では、普通のストレリチアだったら楽に手に入ります。楽に手に入る、ということは価値も、その程度、ということになります。それでも、第一級の優秀品種ともなれば、入手は困難を極めます。まず、どこに行けば出会えるか、を探すことから始まり、果たして譲り受けられるだろうか、自分の経済状況が許してくれるか、まだの難題が控えています。

 いつの世も簡単にはゆかないもののようですね。だから価値があるのです。