ストレリチア秘話No.240 ストレリチアの処遇 その在りたい姿

 人類と植物との関係は、長い歴史の中で様々な変遷を繰り返してきました。鑑賞用の植物に限っただけでも、江戸時代から現代に至るまで数多くの植物が登場し、脚光を浴びて大流行し、人々は争って手に入れようと奔走しました。しかし、流行は長続きすることはなく、やがて下り坂となり、いつのまにか忘れ去られ、消え去っていきました。その中でも、いくつかは少数の人々に守られ、受け継がれてきた盆栽のような存在もないわけではありませんが、それでさえ、盛んだった頃の勢いは失われてしまっています。

 ひとたび、スターとなった植物は、それに相応しい長所を備えています。それなのに、頂点の座から降りてしまうと二度と復帰するすることは難しいようです。流行の頂点にある頃は光り輝いて見えていたのに、落ち目になるとオーラは消え去ってしまい、普通の植物に戻ってしまいます。この気分が人々の間から消えない限り、復活の機会は巡っては来ません。これには数十年から百年もの年月が必要となることでしょう。つまり、数世代を越えないと復活は起きることはない、といってよいかもしれません。

 ストレリチアは、まだ、スターとしてもてはやされたことはありません。しかし、その可能性はある、といっても間違いではないでしょう。でも、小規模な流行なら兎も角、国中が大騒ぎになるような大流行には対応出来ない体質がストレリチアにはあるのです。流行となれば、短期間の供給が求められます。つまり、お客さんが欲しいと言えば、すぐに提供出来なければならないのです。人が待つことができるのは1ヶ月ぐらいで、どんなに遅くても数ヶ月位が限度でしょう。それなのに大量の需要に応えるために生産を開始したとしても、ストレリチアは、出来上がるまでに早くても数年は掛かってしまいます。その頃には流行は、とっくの昔に過ぎ去ってしまっていることでしょう。実は、十数年前、この状況がジャンセアに起きかけたことがありました。「現代建築の庭園にジャンセアがぴったりだ」と、大量の注文が殺到しました。しかし、応じる事が出来たのは、わずか数株だけでした。あわてて苗を作り出したのですが、間に合うはずがありません。その時の苗が現在の私の所のジャンセアなのです。

 これに対応するには、いつ、流行が起きても応じられる態勢を整えて置くしかありません。ストレリチアの生長には長い時間を必要とします。これを短縮しよう、などと考えるのはストレリチアの本質に逆らうことなのです。私は長い間、ストレリチアと共に生きてきて教えられました。

「事に臨んで、ジタバタしても始まらない。長い時間が掛かるのはわかっているはずだ。そのための準備をしておくのがストレリチアの栽培なのだ」と。

 私は、ストレリチアがスターになることを臨んではいません。流行の過ぎ去った後の没落がいやなのです。従って、愛好者の数は少なくても、永く続く方が望ましいと考えています。何百年、千年と生きるストレリチアにとって、僅かな期間の流行などは、問題にならない出来事で、人間が勝手に起こした思いつきにすぎないでしょうから。