私の所では実生苗が開花してくると選抜が始まります。優秀花を選ぶのが目的ですから選ばれなかったものは捨てられる運命にあります。人によっては、何と非情なことを、或いは、もったいない、と思われるかもしれませんが、私にとっては当然の作業で、何のこだわりもありません。
自生地のストレリチアに対面して感心させられることがあります。それは、葉の形や草型、花立ちの、ひどく極端な株に出会うことが滅多に無いことです。実は、これ、後から気づいたのであって、その時は「そんなものか」と思っただけでしが、その後、人工のストレリチアを扱うようになって、ひどいものもあるのを知って、改めて考えさせられたのです。
自然でも、様々な形質のものが生まれてくるでしょう。しかし、そこには、ダーウィンのいう「自然陶汰」が働いて、種の繁栄上、望ましくないものは消し去られてしまうに違いないのです。例えば、花立ちの極く悪いものは、子を殖やすには難点がありますから、長い間には消えてしまうことでしょう。草型でいえば、葉柄が斜めに出たり、丸く湾曲して垂れ下がるものがあります。これは弱い光でも受けやすくする構造だと思われるのですが、自生地の強光線のもとではやけどをしてしまいます。人は、まとまりのよい直立型を好みますが、本来は強すぎる日光を斜めに受けて和らげようとの構造であって、人の鑑賞のためではありません。
このように自然だって非情とも言える選抜をしているのですが、人工の場合は違った局面もあります。人に役立つ変異は生かすことです。例えば、花立ちが良すぎる株や矮性種は自然では生きられなくても、人が手を掛けてやることによって、その性能を発揮させてやることが出来ます。
品種改良の最後の工程は選抜です。簡単に言えば、選び出す、捨てるの作業です。