ストレリチア秘話No.414 それでもストレリチアは生きる

 2年ぶりに里帰りしてきたストレリチア ジャンセアと対面しました。一見してイメージの変化に驚いてしまいました。私の栽培場のストレリチアよりキレイに育っているのですが、よく見ると柔らかな体つきで、弱々しく、ストレリチアらしい「たくましさ」「力強さ」を発散していないのです。品はよくなったものの、退化してしまったのではないかと思われるほどなのです。話しをきくと、40°Cを越えるハウスの中で生長もよく、開花時期も早まったのだそうです。これでは外気にふれることなどなかったでしょう。

 これとは対極にあるのが、我が家の半ば放置された状態にあるストレリチアです。強い直射日光にさらされ、強風に耐え、冬の凍る寸前までの寒さに負けず生きてきたのですから、体は小さく締まり、肌はカチカチです。伸びやかさに欠け、生長が遅いのは、ろくろく面倒をみてもらえなかったからに違いありません。

 この両極端な環境では、普通の植物でしたら、ヒョロヒョロに徒長するか、或いは、耐えられなくて枯れてしまいます。ところが強いストレリチアは、素人目には気がつかないほどの差しか見せません。ここが誤解を生む基になるのです。ストレリチアは気に染まない扱いを受けても敏感には反応しないで耐えてしまいます。このため、間違ったことをやってしまっても気がつかず、時には、それで良いと思い込んでしまう事さえ起きてしまうのです。但し、短いスパンでは見えなくても、長期にわたると目に見える姿に現われてきます。

 このようにストレリチアは、与えられた環境に合わせてくれます。これは言葉を変えると、栽培する人によってストレリチアは違った表れ方をするのです。極端な言い方をすれば、栽培する人の人柄がストレリチアに表われてしまう。つまり、ストレリチアと栽培者は一体である、とも言えるのです。この恐ろしさ?を知っているので私の所では3種類に分けた栽培法をしています。

1, 私が、よく面倒を見ているグループ(私の理想をめざす)

2,ほどほどに手をかけているグループ(一般向けの栽培)

3, 放任栽培、捨て作り組

 栽培は、ストレリチアの在るべき姿、理想を思い浮かべて、それに近づく事であるべきでしょう。それには「理想的な姿のストレリチア」を見ることが近道です。自生地のストレリチアを見ることは簡単ではありませんが、近くで、よく出来たストレリチアを見つけることは、やる気さえあれば簡単なことです。こうすることで間違った栽培が少しでも減ってくれることを願っています。