「ストレリチア秘話」も500号を越えましたので、ここで一区切り、ストレリチアの栽培についてのまとめをしておきたいと思います。
栽培とは、その植物が持つ能力を最大限に発揮させる技術ですが、それも、その植物の特性によって様々です。或る植物に有効な方法であっても、それがストレリチアに適用出来るとは限りません。ストレリチアにはストレリチア独得の生き方があるからです。
ストレリチアの栽培は、一方では「生長せよ、大きくなれ!」とアクセルを踏むのに対し、もう一方では、「進むな、もっと、ゆっくり!」とブレーキをかける、この一見、矛盾した
扱いをしなければならないのです。ただし、有り難いことに、この両者を同時に行うのではありません。
「養成中はアクセルを」
「成熟したらブレーキを」
と、生育段階によって使い分けることなのです。理由は今までの章で解説したとおりです。
でも、これが意外と守られません。「言うは易く、守るは難し」でしょうか。特に理解が及ばないのは、植生のムラの掟から離れて自由になると、ストレリチアは生長に歯止めがなくなり、暴走と呼びたいほどの生長を始めることです。しかも、初めの頃は、人は気づかず、或いは、喜んで受け入れてしまいますから、始末が悪いのです。そして、気がついた頃は手遅れになっています。でも、それが分かる人が少なく、そういうものだという思い込みが大部分なのです。このように見てくると、この抑制の技術は、相当に高度なものなのだ、と思えてきます。何しろ、目に見えない植物世界の掟の執行を代行するわけですから。目には見えない社会的圧力を人が代わりにやろうとするには、結局、見える形に変形してやるしかありません。何とも、歯がゆい方法なのですが、今のところ、これしか考えられません。剪定は、ともかく、繁り過ぎにならないうちに、早めに株分けして、すっきりした姿を保つ方法は、後始末をしているだけで、根本的な処置とは思えませんが、他に方法がありません。それでも、この技術を駆使している限りは、なんとかストレリチアとしての正常な姿が保たれます。