ストレリチア秘話No.504 ストレリチア 季節と愛好者の関心のずれ

 私は一年を通じてストレリチアと付き合っていますから、季節によって気分が変わるわけではありません。それぞれの季節に従って見せてくれるストレリチアに対しています。でも、大勢のストレリチア愛好家のお客さんを相手にしていますと、季節によって大きな差があるのに戸惑っています。人々のストレリチアに対する気分が季節によって違うのです。

 暑い夏は、花に関心はなく、お客さんは全然、見えません。秋、涼しくなって、ストレリチアの開花が多くなるに連れ、少しずつ、増えてきますが、ストレリチアのペースとは程遠いものです。年末には少し多くなってきますが、それでも、思うほどではありません。一月から二月は寒くてストレリチアの活動も停止状態となりますので、人々の動きの無さも気になりません。二月から三月の早春の季節になると、花を求める観光客でにぎわいます。ストレリチア愛好家も一緒に行動を開始します。でも、混雑する雰囲気の中では、落ち着いた気分でストレリチアに対するのは難しく、周囲の観光客気分に流されがちです。春の彼岸を過ぎると一般の人々の花への関心が薄れてゆきますが、ここから五月へかけてストレリチア愛好家独得の動きが始まります。一般の人々とは逆に熱が持続、或いは上昇するのです。

 これは不思議な現象ですが、私が思うには、

「花のシーズン中にストレリチアに関心を持っはものの、その場で決定するには障害(価格の高さや栽培法の不明)を越えられなかった」のが、家に帰って考えた結果、ようやく、決心が固まった、ということではないか、ということです。それなのにストレリチアはシーズンが終わりかけて、疲れた花しか残っていません。でも、元気だった頃を見ていますし、気分が、すでに固まっているのですから気になりません。このようにドラマが進行していくようです。雪国の人が、冬は動けないので、春に行きます、とは、よくあることです。事情はわかりますが、でも、その頃は、もう、ストレリチアの花は終わりなのです。それなら、雪の前に来れば、思うのですが、その頃は、まだ、意欲が高まっていないのでしょう。これでは人とストレリチアはずれたままです。

 簡単に言えば、ストレリチアの動きにたいして、人の関心や行動がずれて、遅れることです。これでは、折角の名花が咲いても、実物は見てもらえないで終わってしまいます。「光り、輝く花弁」といったところで、それは言葉の上であって、実感は伝わりません。写真なち、或る程度まで伝わりますが、それでも不完全で不満が残ります。やはり、実物でないと駄目なのです。この、ストレリチア本来の姿が伝わらないことを残念に思っています。

私の所では小売りだけでなく、卸売りもしています。では、プロなら、素人を越えた冷静な行動をしているか、というと、そうでもありません。プロなら、お客さんの行動様式を察知して、一足早く準備すべきでしょうが、その動き方に差がないのに驚きます。また、専門家であるなら、季節に関係なく、ストレリチアに関心を持ち続けるもだと思っているのですが、実態は、そうではないようです。