私の仕事の中心はストレリチアの育種、改良です。毎年、次々と様々な組み合わせの交配を行っています。それでも困るのはストレリチアを相手にするには年数がかかることです。
先ず、種子を採るに一年がかりで、発芽の適温が巡ってくるのを待つのに、また一年かかります。それから、いよいよ播種にかかるのですが、これからが年数がかかるのです。一番、短いのがレギーネで、苗から開花までに早いもので5、6年掛かります。それでも、これは気の早い株のことであって、大部分の花を見届けるのに何年も掛かります。一番、成育の遅いジャンセアでは、早いもので7,8年、遅いものは15年も掛かるのは珍しくありません。
「こんな気の遠くなるような作業を続けるなんて」
と思われるかもしれませんが、私だって、そうそう我慢できるわけではありません。時間を短縮するのは不可能ですが、何とか耐えられる方法を編み出すのです。それは交配作業を毎年、続けることです。こうすれば我慢しなければならない数年を過ぎれば、後は、毎年、次が追いかけてきてくれるので、待つのは一年ですむことになるわけです。こんなことで私は、年数のかかる育種を苦にしてはいません。ことは多分に心理的なものなんですが。
それでも、これは私が若い頃のことで、近頃は事情が変わってきました。若ければ10年、15年後の開花を期待することに何の不思議はありませんでしたが、92歳となり、人生も終わりが近づくと、そうは言っていられなくなってしまったのです。 今年、交配した種子が開花するのを見届けることは出来ないのではないか、という問題が迫ってきたのです。だからといって、交配を止める気にはなりません。仮に運良く開花年数まで生きられてしまったとき、
「あの時、やっておけばよかった」
などと悔やむことはしたくないのです。たとえ、寿命が尽きて見ることができなくなっても、誰かが見て、確認をしてくれることでしょう。だから、まだまだ、続けているのです。それでも、これは、まだ現実のこと、まだ実際には親株にまで育っていないのに、あれとこれを組み合わせたらどうだろう、などと空想に近いことまで発展しまいます。
世の中、定年退職後、人生の目標を見失ってしまい、無気力な毎日を過ごしているうちに健康を害したり、はたまた、認知症になってしまった、などと伝えられることが多くなってきている中で、ストレリチアに見果てぬ夢を追いかけて、迫る老化を忘れてしまう生き方も、満更、悪くないように思えます。何も交配、育種などと難しいことをしなくてよいのです。
ストレリチアを相手にすれば事は足りるのです。ストレリチアは毎日、にらめっこしていても、わずか1~2㎜真夏の最盛期でさえ5㎜ぐらいしか育ちません。何しろ相手は私達人間の10倍の寿命を持つ生き物です。人生百年では足りません。せめて、少しでも長生きして彼らと付き合いたいのです。これが結果として長生きにつながってしまうのではないでしょうか。