ストレリチア秘話No.415 オーラを感じさせてくれるストレリチアもあるんです!

 私は毎日、栽培場のストレリチアに会いに行っています。行って何かをする目的があるわけではありません。行かずにいられなくて、自然に足が向いてしまうのです。ですから、行っても何もしないで、ただ座って、ぼんやり眺めているだけです。これが実に気分がいいので止められません。暇さえあれば、つい、行ってしまいます。では他の場所でも同じ事が起きるかといえば、そうはなりません。他では駄目なのです。やっぱり、出来のいいストレリチアの並んでいるスペースでなければ、この気分にならないのです。

 フランスのシモネトンという人が生物は皆、固有の放射線を出している、と発表しました。

 ところが100年後の現在でも、まだ、公式な評価をされていないようです。オカルト風だと誤解されているのかもしれません。これは正確な計測装置が、まだ無いためでしょう。一般に「オーラ」と呼ばれているのは、この放射線が強く出たときなのだという説もあります。

 しかし、このオーラも、誰でもが見えるわけではないので半信半疑にされているのが現状です。

 私としては、何となく言じたい気持ちです。出来のいいストレリチアは実に素晴らしい姿をしています。でも、いざ、それを説明しようとすると、何とも情けない言葉しか出てきません。つまり、説明困難なのです。色、つや、姿形、それぞれが優れているだけではありません。それらがバランスよく、釣り合っていなければならないのです。それだけではありません。見ているだけで何とも気分がよくなるのは、株、全体から発せられる「放射線」のせいなのだ、とすれば納得出来そうな気がしてきます。

 春の生長開始時期のストレリチアはオーラを出すようなゆとりはありません。植え替え、株分けなどすれば、回復に必死なのです。それでもストレリチアは若々しい新鮮さを見せてくれていました。夏の成長期になれば、そろそろ本来の姿を見せ始めますが、なんといってもハイライトは、秋の充実期であり、冬の完成期、開花期です。

ストレリチアを手に入れるなら、このオーラを発散している株を選ぶべきです。ただし、これを感じ取れるだけの敏感さが求められます。しかし、案外、これが簡単なことではないようです。例えば、値段が折り合わない、花の特徴の選択に迷ってしまう、など、あれこれ、雑多な条件が浮かんできて、その結果、このオーラは第二、第三の条件に追いやられてしまうことが多いのです。

 我が家の軒下にジャンセアゴールドの大株が置いてあります。

「これ、いいね!」

と、先日、やって来た私の娘がつぶやきました。栽培場には何百鉢とストレリチアが並んでいる中での出来事です。実は、私も同じ感じを持っていました。それなのに昨年来、この株は売れていません。他のストレリチアは売れているのに、です。多分、この株が堂々とした大柄なので敬遠されているに違いありません。それでも、持てないほど大きくはないんですけれど。世の中、目明きが少ないからでしょう。

シモネトンによると、高い放射線をもつ植物に近づくと(食物として体内に取り入れるのが一番いいのですが)私たち自身の放射線も上がって体の調子がよくなるそうなのです。生物は病気や老衰でからだが弱ってくると放射線量が下がってしまい、病原菌や虫に負けてしまう。つまり、「弱り目に、祟り目」が起きてしまうらしいのです。私が出来の良いストレリチアに会いたがるのは、これで説明がつきます。私がストレリチアに会いに行きたがるのは、ストレリチアの放射線を浴びることだったらしいのです。ただし、この効果は長続きしないので、頻繁に繰り返す必要があります。だから、毎日、通っているんですね。

 この放射線やオーラは、本当に存在するのか、まだ、わかっていない、あいまいなものですから、誰でもが感じられることではないでしょう。私は、自分自身が敏感だといっているのではありません。一鉢だけ見せられたら、判定には自信がもてません。でも、私が訪れる場所には何十鉢ものストレリチアが並んでいるのです。これだけの数から発散してくる量なら、いくら鈍感な私でも感じる事が出来るのでしょう。私が初めてストレリチアの自生に出会ったのは、ユイテンハーグのジャンセア自生地でしたが、今でも、その時の感激は忘れていません。しかし、現在では、あれは初めて出会った感激だけではなく、ジャンセアの集団が発する強力な放射線を受けた反応でもあったのではないかとも思っています。

さて、すべてのストレリチアがこうだというのではありません。株の出来具合によって表れ方はさまざまでしょう。ここで語られているのは、しっかりした栽培で理想的な条件が整ったものだけの話です。

 近頃、森林浴の効用が奨められています。これは植物が発散する揮発成分が私たちの体によい影響を与えてくれるとのことですが、私は、これに「植物の放射線の影響を加えなければ」ならないのではないかと考えています。