世の中には珍品を探し求める人たちがいます。勿論、植物の世界にも。私にも、多少、そのけがありましたから、心情は理解出来ます。でも、今となると情勢が取る程度、わかってきて冷静になっているつもりです。数年前のことです。一人の若者が訪ねてきました。私がストレリチアと同居しているアロエからの緑で、少しは現地のアロエの状況にくわしいと知ってのことです。
「アロエ ハエマンティフォリアが欲しいのです」
とのことなのです。私は、そのアロエの自生地を知っていました。2001年7月のことです。
私はサンゴアロエの一番、西の自生地を訪れるべくケープタウンを出発しました。ルートは、ヨハネスブルグを目指す、大陸の中心部を通る国道1号線です。ケープ平野を過ぎると、緩い斜面のブドウ畑が遠くに見えてきました。気分のいい植生が続く土地は住みやすそうです。これは後から知った南アフリカの歴史ですが、移住してきたオランダ系の開拓民が先住のサン族を追い払って占有してしまったとのこと、なるほど、と納得できます。やがて道路は内陸の高い台地にさしかかります。その最初の山並みの中の一つに、このアロエの自生地があったのです。普通の旅行者には、そんなことは分かりません。実は私、昨日、キルシュテンボッシュ植物園でアロエの専門書を買って読んでいたからなのです。でも私は、そこまでで、それ以上、深入りはしませんでした。その日の私の目的はサンゴアロエの調査だったのですから。
そのアロエも、専門書の解説によると、移植を嫌い、種子からも不可能、とありました。
別の園芸書には、「このアロエは、故郷を離れるのをいやがる」とありました。姿はダルマ系君子蘭の葉を厚くしたようなものですから、珍品好みにはぴったりなのでしょう。でも、こんなわけですから写真でならともかく、実物にお目に掛かるには、あの高い山のゴツゴツした岩の頂上まで登らなくてなりません。それどころか、麓に行くことさえ簡単ではないのです。それにケープ州西部は「冬雨、夏乾燥」の地中海性気候の土地柄で、そこの植物は、なかなか日本の気候にはなじんでくれません。しかも、山の上では、特徴が増幅されていることでしょう。これではお手上げです。
「実物を見ることさえ難しいのに、入手が出来るはずがありません。ましてや、栽培なんて不可能です」
これが私の答えでした。
500年前の大航海時代以来、世界の謎はつぎつぎに解き明かされ、珍しい物は皆、知られてしまい、現在、珍奇な植物は、残っていたとしても手に負えないものだけとなってしまっています
ところで、厳しい環境の中で生まれ育った植物には、まだ、知られていない特殊な成分があるのではないか、との説があります。これが本当か、どうかはわかりませんが、もし、仮に有用になったとしても、このアロエのように環境受容度が低くては実用化は困難です。
プロテアは日本では適応出来なくても、オーストラリアやニュージーランドでは栽培出来るので、我が国には輸入されています。
その点、ストレリチアの適応能力の幅広さは驚異的です。これからも、まだまだ、知られていなかった特質が証明される日が来るかも知れません。