ストレリチアを栽培する大勢の人々を私は見てきました。その中から引き出した結論です。以前、私は、せっかちな人の方がストレリチアとの相性がいいと述べましたが、今回は、そのレベルを超えた話と受け取ってください。人とストレリチア、全然違った生き物同士が付き合うのですから簡単なことではありませんが、でも、そこに納得出来る共通の土台がなければ成立することは出来ません。これが出発点です。
30年前まで私が相手をしていたのはストレリチアの切り花栽培を目指す人々でした。職業とするわけですから、皆、必死で取り組みました。ところが始めて何年かすると、皆、一様に初めのころの情熱が消え去り「十年一日のごとし」の刺激のない仕事ぶりになってしまうのです。その姿を見て、私はストレリチアを相手にする恐ろしさを知らされました。仕事は同じ事の繰り返しであっても、やはり、その人なりの工夫が加えられてこそ進歩があるのです。ところがストレリチアは、何をやっても変化してくれません。(実は、そうではないのですが)このストレリチアのペースに巻き込まれてしまうと、もう、発展がなくなってしまいます。そこを、せめて、せっかちな人は抵抗出来る、といったのです。
ストレリチアを一回植えたら、それで終わり、と思うから、こうなるのです。植えたら、それが始まりで、次々と手を加えねばならないのに、ここで停まってしまうのです。私のすすめる方法は、毎年、数株づつ、新しい品種と入れ替え、常時、時代に遅れないよう、内容をえてゆくことです。これなら、経費、労力、共に大きな負担になりません。でも、これをやっている人に出会ったことがないのです。工夫も加えず、新しい血も入れなければ、最後には破局が待っています。
趣味栽培の場合も似たようなものです。こちらは飽きることが加わります。私は、これが悪いとは思っていません。ストレリチアは長生きする植物ですから、相手をする人の方だって、いつまでも高い情熱を持ち続ける事は出来ません。波があって当たり前です。せめて低い波の時でも、生かしておいてもらいさえすれば、また、次の機会が巡ってきます。
ことは、人がストレリチアに対する情熱をどれだけ長く持ち続けることが出来るか、にあります。お金がないから高い品種が買えないとか、土地が狭いとか、気候条件がよくないとかは、みな、第二次、第三次のことがらで、決定的な問題ではありません。一番は「情熱」なのです。しかも、これには、お金が全然、かかりません。最初に述べた、間違ったストレリチアの扱いの基は、すべて、ここにありました。