ストレリチア秘話No.496 ストレリチアが生きる上での制約「自然の掟の有無?」

 前章からの続きです。今まではストレリチアが人工栽培では野放図に生きやすいことを主に栄養面からみてきましたが、どうも、それだけではないのではないか、というのが、との章です。

ユイテンハーグのジャンセア自生地は南北に道路が走っていて、自生地を左右に切り裂いています。真っ二つでは無く、東側が約3分の2で西側が三分の一に分かれています。この東側は広いだけで無く、ジャンセアの数も多く、しかも大株揃いで、密生状態なので、とても中へは入れません。対して西側は隙間が多く、楽に歩き回るスペースもありました。中には開けた場所もあり、そこには、驚いたことに、サンゴアロエの植生もありました。このアロエは背が低いので、開けた土地でないと日照が受けられず、生きてゆかれません。この植物の存在は、そこが開けた土地であることを表わしています。

 地球上のどんな森、草地でも、それぞれの植物は勝手放題に生きているわけではなく、お互いがゆずりあって、遠慮しながら生きている。これは勝手に破ることが許されない自然の掟なのだ、との説が有力です。これに従えば、自生地のストレリチアもこの制約を受けているはずで、自分の思うままではなく、分に応じた生き方をしている、とみることが出来るでしょう。このことを物事の表裏としてみると、表は自立的な遠慮であり、裏は植物の村社会の強力な掟の抑制がかかっている、とも言えます。

 このストレリチアを掘り上げて公園に植えます。そこはもう、人間が自然を破壊してしまった空白地ですから、もう、厳しい掟はありません。それが、伸びすぎ、殖えすぎ、育ち過ぎ、となって表われているのでは無いでしょうか。土地の養分の多い、少ないは、直接の大きな原因ではない、ともいえます。

 もし、そうだとすると、事は厄介です。私たち人間には、植物の世界の掟など作れません。

 一つだけ、私たちが手がけてきた技術が「剪定」です。果や庭木、盆栽の世界では常識とも言えるほど一般化しています。でも、考えてみると、自然の掟を人間が代わりにやっていることだともいえます。

 さて、これをストレリチアにどう適用していったらよいでしょうか。これからの問題です。

 何しろ、私たちが持っているストレリチアは全部、この自然の掟からは自由に解放されているのですから。だからといって、無法者だ、アウトローだといっているわけではありません。