ストレリチア秘話No.522 ストレリチア栽培の間違いは感覚の違いが生む

 ストレリチアの栽培は、時として間違いを生みます。これは栽培技術が手品のように熟練を要する難しさではなく、感覚の違いによる誤解から来ることが多いようです。私たち日本人は、東アジアモンスーン地帯に生まれ育っていますから、雨が多いのは常識で、身に染みついてしまっています。植物も同じ環境にあるわけですから、栽培に水をかけるのは当たり前のことです。

 そんな人々が乾燥地帯出身のストレリチアを手がけるのですから、問題が起きないはずがありません。ここでは、雨は滅多に降りません。それも短時間に、大量です。ストレリチアの根は、この時、とばかりに水を吸い上げます。でも、長い時間ではありません。すぐに乾いてしまい、後の乾いた年月を乾燥状態で過ごすわけです。ストレリチアの根は、これに適応した構造と機能を持っています。雨が降れば急いで水を吸うけれども、必要な量を吸ってしまえば、後は活動を休みます。もう、それ以上は要らないのです。後は乾かなければならないのに、人が、次ぎ次ぎに水をやれば、湿り気に耐えられず、いわば、おぼれてしまうのです。これが、俗に言う「根腐れ」です。このためにも水はけ良く植える必要があります。

 こんな状態なのに、毎日、植物に水をやらないと気が済まない人がいたら、ストレリチアにとって、こんな迷惑なことはありません。親切も、愛情あふれる行動も、相手が望むことであればこそ、なのです。

 とはいえ、ストレリチアだって、乾燥が、あまりにも長く続くことは望んでいるわけではありません。我慢して、耐えているといってもよいでしょう。この「生態的必要量」を少しばかり緩めてやれば、その分、生長を促進することが出来ます。これが人工栽培なのです。

 だからといって、多雨地帯の植物並みまで望んでいるわけではありませんから、自ずと限界があります。せいぜい、乾燥する期間を短くする程度が無難なところではないでしょうか。

 人は、自分の身に染みこんだ感覚を越えて行動することが、如何に難しいかを思い知らされます。コンピューターに任せれば、こんな間違いは起きないだろうと思うのですが、古い人物は、そこまで踏み込む気にはなれず、ジレンマを抱えています。大量、営利栽培ならともかく、少なくとも趣味の世界では、間違うことも楽しみの一つかも知れません。