ストレリチアの持って生まれた性能を100%発揮させようとするのが栽培です。そのために環境を整え、水や肥料に気を配り、害虫や病気への対策も十分にします。結果として立派なストレリチアが育ってくるでしょう。でも、それだけで良いのでしょうか。私には、まだ、なにか欠けているような気がしてなりません。
私の町の近くに、よく手入れされた別荘の庭園があります。そこにレギーネが数株植えられていました。よく見ると、系統は悪くなく、花も、まずまずの咲き方をしています。それなのに、私には、そのストレリチアが幸せそうには見えないのです。
原因は、直ぐに分りました。庭園は立派で、よく手入れされているものの、ストレリチアが植えられているのは、一番、隅で、日当たりのよくない場所だったのです。つまり、庭園に植えられた植物の中では、最低の扱いでした。日当たりの悪い場所を好む植物はあります。
添え物、引き立て役が適した植物だってあります。でも、ストレリチアは誇り高く、孤高の生き方を望む植物なのです。こんな扱いをされて本来の性能が発揮出来るはずがありません。ストレリチアは、周りに自分より背の高いものがあるのを嫌います。背の低い植物を従えて、十分な日光を浴びてこそ、本来の姿が発揮出来るのです。
植物はみな、植生の一員として、自分の役割、自分の地位が与えられています。それが結果として全体の調和を生み出しているといえましょう。孤立したストレリチアを育てているだけでは、まだ、不十分で、環境の一員として溶け込ませなくてはならないのです。
環境とは、必ずしも植物だけではありません。自生地では、大きな岩を背景にしたストレリチアを数多く見てきました。これが不思議と風景に合っているのです。直接には関係があるのか、どうかは、わかりませんが、いわば、絵になっているのです。ストレリチアをテラスやベランダに置くにも、配置や周囲との取り合わせに配慮したいものです。人間の都合だけでいっているのではありません。ストレリチアだって環境を構成するのに役立ちたいのです。
