ストレリチアの語り人とは、必ずしもストレリチアについての専門的知識を持っていなければならない、と私は考えていません。必要なのは、「ストレリチアと付き合える人」なのです。
私の南アフリカでの自生地調査を助けてくれた人の殆どはストレリチアの専門家ではなく、私の目的を知って出来る限りの援助をしてくれた人たちなのでした。ところで私は毎年、大勢の人と出会っていますから、総計すれば相当な数のストレリチア関係者と知り合っていることになります。でも残念なことには「ストレリチアの語り人」になってもらいたいような人が多くないのです。これは、いったい、どうしたことでしょうか?簡単にいいますと、ストレリチアを単なる物として扱っていて愛情を感じるような情感を持ってはいないらしいのです。こんなていたらくでは、とてもではありませんが、「ストレリチアの語り人」になれる資格はありません。
私としては、「一生の伴侶」としてストレリチアと付き合ってもらいたいと思っているのです。
それなのに、これでいいのだろうかと納得できないのです。私の大好きな品種にジャンセアゴールドの親株であるパービフォリアセトラーズパークがあります。私は、このストレリチアが好きで、ふるいつきたいほどの気分を持っています。私にしてみれば、ストレリチアに対して、こんな感情を抱くのは当然なことなのです。セットラーズパークに植えられている親株のジャンセア ゴールドは不稔性のため、黄色種の種子を作ることができません。そこのところへ、ようやくのところ、サンバードがオレンジレギーネの花粉を運んできてくれて種子が出来たのです。しかも、公園では種子が生まれただけで花が開花したのは日本の我が家だったのです。こんな因縁を持って生まれたストレリチアを愛さずにいることなどできましょうか?私は、ストレリチアを栽培することと、ストレリチアを愛することはイコールだと思っていますから、こんなことは少しの不思議はありません。但し、困っているのは、これが自分だけでなく、どこまで他の人にまで広げる事が出来るかにあります。