「このストレリチア、もっと安くなりませんか?」
「お客さん、そんなことをいうとストレリチアが腹を立てますよ。「私をそんなに粗末に扱うのと。お宝は、お宝らしく扱って上げて下さい」
これは、或る日、私とお客さんとのやりとりの一部です。私としては、ある人が友達からストレリチアが殖えたからとタダでもらったと粗末に扱っているのを見たことがあるのです。
そのとき「やはり、苦労して手にいれたものでなければ大切にしないのだと思いました。ましてや、お宝は、それなりの扱いをしなければ、それなりの価値さえ感じないことになってしまうでしょう。ものを手入れる時は、安ければ良いというわけではありません。
昔だったら、単なる例え話で済んだでしょうが、近頃は真剣に解釈しなければならなのではないかと思われる時代がやってきているようです。植物学の一部でも、ただの草木では無く、動物とは別ながらも、意識を持った存在として扱わなければ、という考え方が起きています。
ひるがえってストレリチアの世界を眺めてみますと、両者が必ずしも対等ではない組み合わせもあるようです。優れた人物が粗末なストレリチアを相手にしていたり、優秀品種がが、それなりの扱いをしてくれない人物のもとに居たり、と様々です。理想は両者ぴったりの組み合わせですが、なかなか、そうはならないのがこの世です。これはストレリチアのせいではないでしょう。責任は、すべて人の側にあります。こんなことを、わざわざ取り上げるのは、ストレリチアが進歩してきて、その立場、評価が明確になりつつあるのを感じるからなのです。
