ストレリチア秘話No.226 ストレリチアとの相対し方

 これも栽培相談でよく出てくる事柄です。

「ストレリチアの株元に残る古い葉は取去ったほうがいいですか、 それとも残して置いたほうがいいですか」 に対して私は、「汚らしいと思うなら取って下さい。気にならないなら、放って置いてもいいです。やがては消えてなくなりますから」と答えます。 また、「ストレリチアの葉や茎に小さな穴が開いたり、傷があったりしますが、これでもいいんですか」 と。 これは相当に神経質そうな人からです。「生き物は生まれた時は無傷であっても、長い間には、風雨にさらされ、寒さや暑さにも耐え、時には、 害虫や細菌の攻撃さえも受けながらも生きています。 少々の傷は、その勲章でもあるのです。何か、 間違えてはいませんか?」と。 私には「健気な姿」に見えるのですが、人によっては「哀れな姿」に見えるらしいのです。こういう人は、植物に完全無欠を望みますから、 結果として、いわゆる 「温室育ち」を目指してしまいます。これではストレリチアの生き方とは正反対なのです。私とて、ストレリチアのこういう姿は見えています。 ただ、「そんなこと」は 「どうということではない」と気にしていないだけのことなのです。

 私だってストレリチアと相対する時は、それなりの目を向けます。それは、その株の持つ遺伝についての関心です。とはいっても、染色体や遺伝子が見えるわけではありません。例え、見えたとしても何のことだか分からないでしょう。私がみるのは、遺伝の結果が外に表れた現象なのです。

 「ああ、これは矮性に出てくれたんだなあ。 欲を言えば、 もう少し小さかったら、 もっとよかったのになあ」 とか、「この花は、 首の色が、もう少し赤かったら素晴らしい株なんだがなあ」ということなのです。 それだけではありません。開花の季節には、私が交配した子供達が、つぎつぎと初花を咲かせてきます。その中から、私の理想とするスターが生まれるのでは、と、期待に胸をふくらませながら会いに行く日が続くのです。

 育種家という人種の姿を紹介してみました。