ルイス キャロル著の「鏡の国のアリス」では、「赤の女王の国」に迷い込んでしまったアリスが、女王に叱られます。
「何をボヤボヤしているんじゃ。おまえの国は、なんと、のろまな国なのじゃ。ここではのう、同じ場所にいようと思うたら、出来る限りの速さで走ることが必要なのじゃ。もし、どこか、他の場所へ行こうと思うなら、少なくとも、その倍の速さで走らねばならん」と。
このお話は科学や研究開発の場では、 「赤の女王仮説」 呼ばれて、よく使われます。これがすべてではないでしょうが、生物の生き方の一面を表していますから、ストレリチアにも通用することでしょう。
豚やニワトリのような家畜の飼育では、途中で性能の低い個体が発見されれば、すぐに処分されます。餌代が無駄になるからです。それなのにストレリチア栽培では、一度、植えられると、途中で選抜、陶汰することを殆ど見かけません。不思議なことです。
圃場をいつも最高条件に整えておかなければならないのにです。しかも、そのままでいいわけではありません。新しい品種が次々に登場してくるのですから、それに目を配り、必要であれば入れ替えもしなくてはなりません。歩みを止めることは、追い抜かれることを意味するのです。赤の女王に叱られないようにするには、いつも全力で走っていなければならないのです。しかも、現状に止まるだけでも、走っていてのことなのですから。進歩が止まる、ということは停滞ではなくて退化なのだ、と赤の女王はいっているのです。これは切り花の世界だけではありません。趣味だって同じなのです。
それなのに、なぜ、ストレリチアだけが取り残されやすいのでしょうか? 私にはストレリチアに直接の原因があるとは思えません。流されてしまう人の方に原因があると思っています。「何と間抜けな国なのじゃ おまえの国は」と赤の女王に叱られないよう、「出来る限りの速さで走る」ことしかないのです。 楽ではありませんね、この世は。