引き続いてストレリチアの寿命の話です。樹木には「屋久杉」のように何千年も長生きするものも多くあります。それでも終末は厳としてあり、寿命は無限ではありません。樹木は木の中心部が生長し、古い部分は外へ押し出されていきます。こうして幹は太くなっていくのですが、それでも限界があり、いつかは止ってしまいます。樹木は無限に太く、高くなることはできないのです。
ストレリチアは違った生長の仕方をします。一株(一条)の中で次々に新芽が育って、先輩を外へ押しだしますが、数年もすると、株は二つに分かれて、それぞれが、また、新しい出発を繰り返します。一株、そのものが肥大するのではなく、横に数をふやしてゆくわけです。これだと、いつも若々しさを保つことができるように見えます。
ところで、南アフリカイーストロンドンから北東のダーバンまでのインド洋の海岸沿いには、ストレリチアニコライの群生地が続いています。よく殖えるニコライのことですから、寄り集まって、他の植物の侵入を許さない純林を形成しています。でも、いくら、増えがいいとは言え、一株が元で広がったわけでは無いでしょう。近寄って観察したわけではないので正確とはいえませんが、無数ともいえる株を構成しているのは、多くの個体で成り立っているはずです。チチカマ森林のアルバも、遠くから見れば大集団でも、近寄ってみると、一株、一株が少し離れて、独立しています、レギーネやジャンセアの自生も同じ様相です。
今度は一株を見てみましょう。レギーネでもジャンセアでも、最大と思われる株でも、その直径は、せいぜい2メートルぐらいで、それ以上に広がったものは見たことがありませんストレリチアが誕生してから数百万年、数千方年を経過しているのですから、途方もない広がりがあっても不思議は無いはずなのに、そんなのは、どこにもありません。無制限に広がることが出来ないのは、生理上の限界があるのか、或いは、生態上の制約のために抑制をうけているのか、分からないのですが、自生地のストレリチアは、或る程度、コントロールされてでもいるかのように行儀よく、散在しています。
このように制限を受けている姿を見ていると、私の「ストレリチアの寿命は無限」の説も怪しくなってきます。自然の株序を保つためには、「程ほどの所でお引き取りを頂く」の掟があるのではないか?とさえ、思われてしまうのです。