ストレリチア秘話No.339 ストレリチア「運不運」

 園芸植物の歴史を読んでいて驚きました。ストレリチアを初めて文明世界のヨーロッパへ持ってきたのは、ロンドンキューガーデンのバンクスから派遣されたフランシスマッソンであることを前にのべましたが、実は、もっと早く送った人物がいた、ということなのです。

それはスウェーデンの植物学者 ツンベルクがマッソンよりも早い時期にオランダライデン植物園かアムステルダム植物園に送っていたとの記述ですが、その後、評判になったという話がないので、おそらく、うまく育たなかったのだろう、ということです。

 なぜ、こんなことが起きたのか、私には見当が付きます。ストレリチアは頑丈で強い植物で、手荒い扱い受けても、大抵は耐えられますが、たった一カ所、急所があって、そこを傷つけてはならないのです。地上茎と地下の接点です。ここは根や緊急貯蔵食料庫の茎への通路なのですが、意外ともろいのです。暖かい生長期なら、辛うじて修復することもありますが、秋、冬の休止期だったら致命的です。

マッソンが植物を生きて届けるのが使命であったのに対し、ツンベルクの方は植物学者で乾燥標本を作るのが主力で、生きた植物を扱うのは得意ではなかったと思われます。

 いくら早く送ったとはいえ、枯れてしまったのでは元も子もありません。結果として、マッソンが運んだストレリチアが第一号となったわけです。