モンゴルの遊牧民は、馬は人と共に生きる友である、と考えています。多くの愛犬家も犬も人並みに可愛がります。植物を愛する人々にも似たような事は珍しくありません。しかし、植物の場合は、たとえ話として受け取られたり、或いは「擬人化」が過ぎる、とまで言われたりして変人扱いされかねません。
馬や犬は、人と同じ哺乳類ですから、両者の間に意思の疎通が出来るチャンネルがあることでしょう。しかし、人と植物の間には大きな開きがありますから、コミュニケートには困難な壁が立ちはだかっています。でも、最近の生物学では、
「植物にも意思の疎通はある。ただ、それが動物とは全然、違った形のものであり、まだ、よく出来ていない」
との、見方が現れてきています。
欧米では、昔から植物を育てるのが上手な人を「グリーン フィンガー」とよんできました。どんな気難しい植物も、その人の「みどりの指」がふれれば従ってくれる、と魔法にも近いニュアンスで語られてきました。これは技術上の事として受け取られやすいのですが、深く考えれば、人と植物とのコミュニケーションが成り立つことが基となっていることを見逃してはならない事だと思います。これは今後、まじめに取り上げらければならない園芸上のテーマになってくるのではないでしょうか。
ストレリチアは私たちに大きな安らぎを与えてくれます。しかし、そのためには、どんなスタンスの取り方をしていったらよいのでしょうか。