ストレリチア秘話No.413 ストレリチアはまだ発展途上の段階の植物です

 私たち人類は、約一万年前、農業を生活手段に取り入れて以来、様々な動植物を飼い慣らし、使い易いよう改良を加えてきました。見た目は野性と同じようでも、内容は人間が使いやすいよう、また、利益があがるよう改良が施されています。つまり、純然たる自然から遠く離れてしまっているものたちです。私たちは、身の回りを、自然そのままから人工的なものに囲まれています。これを混同すると、とんでもない間違いを犯すことになってしまいます。そこで大事なことは、自分の相手をする生物が、どの段階にあるかを把握することなのです。

 例を上げますと、私たちに身近な植物「稲」です。現在の稲の品種は、作出されてから6代も、7代も交配を繰り返し、遺伝がホモジナイズされた純系です。ですから、自家受粉しても子供は親と同じ形質を表わします。ところが、ここまで手を掛けた植物は、ほんのわずかしかありません。野菜を栽培したことのある人には常識で、普通の植物は自家受粉をすれば先祖返りを起こしてしまいます。学術的にいうと遺伝がヘテロだからです。つまり、稲ほど手を掛けられていません。これを混同してしまう人が大勢いるのは困ったことです。植物を扱うのはあだおろそかなことではないのです。

野性の植物が生きる第一義は、「生存する、生き続ける」ことにあります。ストレリチアのような多年草でいえば、生命の存続をおびやかすほどの花を咲かせるわけにはゆかないのです。それなのに人工栽培では、人の欲望が優先して多くの花が望まれてしまいます。そこで改良が始まるのですが、ストレリチアは、まだ、人が手がけ始めてから日が浅く、野性そのままの状態の株が多く残っているのが現状です。つまり、混乱しているといってよいでしょう。選ぶのが難しいのは、一年のある時期以外は見分けがつかないことにあります。

 人工的に改良された品種は、自然では起きない無理をするわけですから、その補いは付けてやらなければなりません。これがストレリチアの栽培なのだといってよいでしょう。

 中には、ここまで自然から離れるのはいやだという理想論もあるでしょう。だったら、自然、そのもののストレリチアを手がけてみるとよいのです。花の素朴さはよいとしても、なかなか咲かせてくれないじれったさに見舞われることが目に見えています。なぜなら、それらのストレリチアは人のためではなく、自分のために生きているのですから。