ストレリチア秘話No.438 ストレリチアの歴史上エポック その1

 花の中には長い歴史を誇るものも少なくありませんが、ストレリチアは大航海時代の後に文明世界に知られるようになったもので、わりと新しい方に属します。それだけに大きな出来事は大してありませんが、その歴史の流れを彩る波のいくつかを紹介しましょう。

1, ストレリチア黄色種の出現

 ストレリチアは、最初にイギリスへ運ばれて以来(実は、オランダへ送られた方が早かったらしいのですが、栽培法がわからなかったためでしょう、枯れてしまったので、イギリスが第一号とされています)急激に広まることはなく、世界では、しばらくの間、「知る人ぞ、知る」だけの存在だったようです。

 第二次世界大戦が終わり、世情が安定してくると花に対する関心が深くなり、花の国、南アフリカでは花の研究が盛んになってきました。総本山としてのキルシュテンボッシュ植物園には国中から珍しい植物が集められ、ストレリチアも、その例外ではありません。初めはオレンジ花だけだったのですが、やがて、黄色種の存在が発見され、寄贈されてきました。私、鈴木が初めて見た黄色種は3個体で、その内、有望なのを2種を選んで分けてもらい、日本へ持ち帰ったのです。その後、他の地域でも黄色種を2種見かけましたので、私の知る限り、南アフリカにはストレリチア黄色原種は5個体あったものと思っています。

ストレリチア無基種の花色は基本的にオレンジ色で、黄色は突然変異によって生まれたものです。それでも、自生原種の数は、そう多くありませんから、出現率は意外と低いとはいえないでしょう。だから、ストレリチアは変化しやすい、融通が利く、と思ったら、間違いで、変化は黄色だけで、他の色は頑固に拒絶しています。どうしても言ううことを聞いてくれないのです。

 私は持ち帰った2種、ストレリチア黄色種A,Bを交配し、「ゴールドクレスト」を作出しました。1980年代のことですから、そこで大きな反響を巻き起こしたのですが、すでに40年も経過しているにも拘らず、今だに珍しがる人が絶えないのを不思議に思っています。ファッションや車の流行のような目まぐるしい流れはストレリチアには無縁のようです。

ゴールドA