以前にストレリチアは捨てられ、放置されても生き残る、と述べたことがありました。私たちから見ると、とても生きてはゆけないだろうと思う場面であっても、なんとか切り抜けることが出来るのは、ストレリチアにとっては、昔から、何回も、似たような境遇にさらされたことがあったために、それに対しての対策が身についていたからでしょう。そこが私たちとストレリチアの経験の差であり、また感じ方の違いなのだと見て差し支えないことと思えます。つまり、投げ出される危機はストレリチアにとっては想定内のことがらであったのです。
ストレリチアの自生地では、何百万年、何十万年の間に数多くの生命の危機に遭遇したことでしょう。それを潜り抜けて生き残ってきたのです。従って、同じ場面が起きても、対応できるだけの知恵が身についているはずです。
ところが、今までに経験したことが無い危機に出会ったらどうでしょう。それには防ぐ手立てを持ち合わせていないのです。いくら丈夫な体であっても想定外の出来事には対応できません。この自生地では経験しなかった危機が二つあります。
その一つは寒さです。0度までは出会っていますから平気ですが、氷点下の気温にさらされたことはありませんから、耐える手立てがありません。
もう一つが長雨です。冷たい季節ならともかく夏の台風シーズンに水浸しとなっては、ストレリチアは多すぎる水の処置に気孔を目一杯、開いて蒸発させようとします。そこへ、この時とばかりにフザリュウム菌が侵入してしまうのです。
私たち日本人には慣れた自然災害でも、ストレリチアは誕生以来、こんな経験はしたことがありません。そのために手立てを全然、持っていないのです。それなら、やはり、人が守ってやるしかないでしょう。