私はストレリチア栽培を初めは趣味としてスタートし、途中から本業に切り替えました。
従って、このような経過を辿った人物にはありがちな性癖を持っています。それは、未だに趣味と仕事の区別が付かず、頭が混乱したままです。「甘い」と言われれば、「その通り」で、扱う品の品質にこだわり、採算を無視してしまう、など、趣味の時代を引きずっていて、いつになっても直りません。別に、これが正しいのだ、いう確固たる念があるわけではありません。他の方法を知らないだけなのです。知ったところで身に付いていないことは出来ないでしょう。この章で扱うことがらも趣味としてなのか、仕事なのか区別が付きません。世の中、そんなに割り切らなくたっていいではないかと思っているからです。
趣味の対象は数多くあります。でも、大きく二つに分ける事が出来るでしょう。それは生物か、無生物かの違いです。敢えて言えば、生命があるか、ないかの違いです。これは重大です。書画、骨董は、持ち主に対して、ああしろ、こうしろ、と要求はしません。ところが犬や猫、ストレリチアだって、一つの独立した生命体としての要求もし、はたまた、わがままにまで発展します。生命は日々の活動の連続ですから、休みもありません。相手をする方は無理をしなければならないことも多くなるのです。
こうなると生物を趣味の対象にするのは分が悪いように見えますが、実は、この労苦を上回る恩恵があるのです。日々の生命活動に「おお、お前も生きているのか、おれも生きているんだぞ」と共感が生まれます。この情感こそが私たちに安らぎを与えてくれるのです。それも、動物の場合は人間に近いので分りやすいのですが、植物となると、進化が離れすぎていて、反応が直接的ではありません。ましてストレリチアのような乾燥地帯の出身は、私たちの照葉林の植物よりも感覚が離れています。そこで、一段階、翻訳しないと、お互いの意志疎通ができないのです。
ストレリチアは無言で、自分の意志を表明していないように見えます。でも、それは誤解です。意思表示はしているのです。それを人間の側が感じ取れないのです。熟練者は翻訳することによって理解します。これこそが栽培の要なのです。
日光に対する反応も、その場ではみせてくれません。それでも数日後には現われます。鈍感な人は数ヶ月後に、やっと気づきますが、もう手遅れです。
そこで、お勧めの方法があります。人とストレリチアの二重の感覚を持つことです。人としての感覚は当然として、今、ストレリチアが何を感じているか、がわかるようになりたいのです。これは単なる山カンであってはなりません。緻密な観察から得られた情報が基になければならないのです。
まだ書き尽くせませんが、この章に関心を寄せた人はエキスパートになれる資格があります。それほどのハイレベルな内容だったのです。

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