国も白治体も予想される白然災害への対策に真剣に取り組んでいます。不十分だとの批判を浴びながらも可能な限りの対策に励んでいるのです。予想される地震や津波にどう対処するかが主なテーマでしょう。
ここのところへ来て私は、人間の活動は、起きるであろう災害が予想の範囲内であるのに対し、ストレリチアは、現在では想像もつかないような環境の変化が起きても生き残れる戦略をもっていて。しかも、準備が整っているのではないか、と思うようになったのです。簡単に言えば、人間よりストレリチアの方が、もっと深い戦略をもっているのではないか、ということです。
私は長い間、ストレリチアの交配、育苗をしてきました。数多くの苗を育て、使えるものから引き出していたわけでが、必ず、最後には、どうにもならない苗が少数ながら残ってしまい、扱いに困っていました。生長が遅く、いじけたような姿なのです。一時は病気ではないか、の疑いも持ちましたが、そこまでの根拠もなく、結果は「かた者」扱いで捨ててきました。
10年も前でしょうか、その中から、花を咲かせる株が現われたのです。私は、改めて、それらが「矮性種」であることに気がついたのです。それ以来、待遇が変わりました。矮性種が登場したのです。半端者すべてが矮性種かどうか、は分かりません。本当の「かたわ者」も混じっているかもしれないのです。それに、矮性種は花立ちの悪いものも多く、果たして、使い物になるか、どうか、花が咲かない限り判定が出来ません。
現在のストレリチア自生地の環境では、矮性種が生き残れるスペースは殆どありません。
僅かながら、あったとしても、そこは生き延びられるだけで、決して快適な地とはいえないのです。それなのにストレリチアは遺伝の中に潜ませて、いつか日の目を見る日がくるかもしれないと準備だけはしているのです。驚くほどの周到さです。これに比べれば人間の災害対策は目先しか見ていません。
植物は小型化すれば光合成の生産量が減り不利ですが、その分、苛酷な環境に耐えられます。高山植物が皆、小柄なのは、その例です。ストレリチアは平時においても、苛酷な環境になっても生き延びられるよう準備が出来ているのです。自然は、まだ、矮性種に、そのチャンスをくれていませんが、幸い、人間社会が役割を代行してくれて、矮性種をもてはやす時代がやってきているようです。ただ、私は付き合いが長いだけに、頑固な性質なのが分かっています。理由は、彼らの出番は、現在のような住みよい気候ではなく、とんでもないしい環境になっても生きられるよう、準備が出来ているからです。
一筋縄ではない生き方の彼らと付き合うには、それなりの覚悟が必要なのではないでしようか。