B, イメージ派
趣味の人たちに多いタイプです。ストレリチアを生の現実を越えて解釈しようとします。私などは、この仲間に入ります。ストレリチアを今のままでは我慢できず、もっと高く引き上げようとするのです。「その志は壮」といってもよいでしょう。現状を把握するのは私たち人類の感覚には限界がありますが、この人達は最大限に解釈しようとします。
ここが現実べったりの「Aの現実派」と違う所なのです。この人達にとってストレリチアは、ただの草ではないのです。
一方、人類の歴史からみますと、中世までは進展が見られませんでしたが、大航海時代になると、がらりと変わります。海外からの植物が危険を冒してヨーロッパに運ばれてくると、そのエキゾチックな魅力に惹かれて貴族達が入手に走し始めたのです。庭園に、珍しい植物を持っていないと一人前ではないとされるほどの熱狂ぶりとなってしまいました。元々、ヨーロッパは氷河時代の影響で植生が貧弱だったために、大切に扱われてはいたのですが、海外からの珍しい植物が入ってきたのですからたまりません。熱狂が始まってしまったのです。現在では大衆化が進んでいますが、それでも、当時の気分が伝統として残っています。植物が生の生き物を越えてオーラに包まれているように受けとられているのです。これが日本人にはピンとこない点なのです。我が國でも江戸時代から園芸は盛んになりましたが、主流は町人であって、ごく自然な形で進行してきたので、ヨーロッパのような階級意識を伴った高度な経験が無いのです。
私が思うには、ヨーロッパでストレリチアの栽培が広まらないのは、人々が、いまだに。
「この植物は高級過ぎて、貴族でないと扱うわけにはゆかない」とまでの感覚を持ち続けているのではないか、と思うほどです。
このように、ヨーロッパの人々は歴史上の伝統もあって植物に対してオーラを感じるほどのイメージを抱いているようです。この点が第三世界の人々と違うように思えます。これを文化の違いといったらいい過ぎでしょうか。
