古代のエジプトでは植物が少なく、木が植えられていたのは神殿と貴族の庭園だけだったと伝えられています。神殿の森は神聖な場所で、一本、一本の木が崇拝されていたといいます。その周辺は薬草園(野菜畑でもあった)で、いずれも育てるのに水が必要で、モーゼに率いられたイスラエル民族は奴隷として、この水を運ぶ仕事をさせられていました。バビロンの架空庭園にしても、古代の人々は植物に対して尊敬の念を抱いていたようなのです。
それに引換え「秘話 1076」で述べたストレリチア現実派の行動は、あまりにも違いすぎます。植物に対しての崇敬の気分は忘れ去られ、働かせる道具としてだけの扱いの結果、どうにもならなくなってしまっているようなのです。原因は、古代エジプトの人々の気分が、どこかへ行ってしまったからではないかと思えるのです。
植物機械論とも言うべき考え方が一時期、進行したようですが、ここのところへきて、それだけではすまないのでは、との見方が出てきています。揺り戻しではなく、もっと深い意味があるのではとの考え方です。まだ、解説が不十分なのですが、そのうち、もっと鮮明になってくることでしょう。
