ストレリチア秘話No.583 ストレリチアの地位 敬意の有無が分かれ目

 昔から「大所、高所から、ものごとをみる」ことの大切さを教え、諭す言葉があります。

 この「ストレリチア秘話」を総括する意味からも、ストレリチアを一歩も、二歩も、いや、遠く離れた高所から見てみることも必要でしょう。

 私の粗末な見聞では、ストレリチアを客観的に受け止めているのは、やはり、自生地、南アフリカの人々であろうと思います。花がありすぎるほどの国で、選ぶのは大変なことだったでしょうが、ナショナル・フラワー「国花」は、プロテアと並んでストレリチアなのです。

二つもあるのは、一つに絞りきれなかったからでしょう。それでも、確実なのは、「ストレリチアは南アフリカを代表する花」に間違いないことです。この意識は国民、誰もが持ち、しかも、実物は、国中、至る所に植えられていて、いつでも、どこでも目にすることが出来る、親しみやすい花となっています。

 そのために、人々のストレリチアの把握の仕方は確実で公平なものとみてよいでしょう。つまり、大所、高所からみている、と言い換えても良いのです。花としての評価だけでなく、個人の庭園にも多く植えられていて、栽培技術も確かです。

 では、故郷を離れて移住していったストレリチアは、どんな待遇を受けているでしょうか。

我が国、日本を見てみましょう。私の所へは年間を通して色々なお客さんが訪れますので、その人達をみていえるのは、「ピンからキリまで」の言葉で表せるようです。これは南アフリカには無い特徴です。ピン、最高レベル、これは日本が誇れる水準の高さですが、もう一方のキリの方は頂けません。草花の延長程度の感覚で、とてもストレリチアが理解できているレベルではありませんし、南アフリカの人々の受け止める感覚とは、ほど遠いように思えます。

これは、見方によってはストレリチアに対しての敬意の有無に関わっているのではないかということなのです。つまり、ストレリチアが私たちにとって、どれだけの価値を持って関わっているかの違いです。

 つまり、まだ、私たちは混乱しているのです。ストレリチア本来の価値が評価されてくれれば安定に向かうのですが、これはいつになるでしょうか。

「たかが植物に敬意を払うなんて?」

 と言う人がいたら、そんな人は次の時代には捨て去られてしまうでしょう、わたしは、そう、考えています。