これは著者の愚痴のようなものです。私は今、目の前の花瓶に活けてあるオレンジプリンスの★★★★★印の優秀花の紫紅色の苞に魅入られてしまっています。これは私が交配、作出した品種ですから、私が創り出したのでしょうか。いや、この色は私が筆を執って塗ったものではありません。私には、こんな美しい色彩を生み出す才能はありません。私がやったことは、このような色を生み出すであろう親株を選んで交配し、その子供達の中から優れた花を選んだだけでした。実際の作業の当事者は、私ではなく、植物だったのです。そこでようやく、私にやれたのはプランを立てたことであって、仕上げたのは植物であったのに気がついたのです。
交配はギャンブルに似ていますが違いがあります。ギャンブルは、すべて偶然に支配されるに対し交配は目的のあるルートで行われることです。それでも交配であっても目的通りには進行しないで途中で偶然も入ってきてしまいます。遺伝子の組み合わせには偶然が関わってくるからです。このようなことから、交配の結果は仕上がるまでは何ともいえないのです。
このように育種家の仕事は自分だけではすみません。行動の主体は植物であるし、どうにもならない得然まで関わってくるからです。従って、自分で作品を生み出す芸術家のような存在ではなく、実質はプロジュウサーのような役割の方が近いのではないでしょうか。
「この品種は私の作出です」
とは、まあ、名目だけと考えれば無難なところです。
