私は以前の章でストレリチアの自生地で次の世代が誕生するのは異常気象が巡ってくるのを待たなければならない、と述べましたが、今回は別の識見に変えてみました。どちらが正しいかの判定は読者にまかせましょう。
私は前章でストレリチアの自生株は、そこの植生のしきたりや掟の抑制を受けていると述べました。今回はその続きです。自生地で新しいストレリチアの苗が生まれても、その植生の中で、その集団の掟から、「今は未だ、あなたたちの存在は必要ない。その時まで待ってもらおう」と消されてしまった、としたらどうでしょう?
「その時が来るまでチャンスは巡ってこない」
かもしれないのです。しかも年数にはたっぷり余裕があるのですから。このように自然では生きてゆくための規制が強く働いていることもあるのです。
しかし、人工栽培では簡単にそれらを無視して自由に振る舞えるのです。こんな有り難いことはありません。感謝してもらいたいほどのことといってもいいでしょう。多少の失敗があろうとも問題ではありません。やりたいことが出来るのです。胸を張って前進しようではありませんか。
これは負け惜しみかもしれませんが、今まで起こした失敗の中には、本人の不手際ではなくて、自然の掟やしきたりをはみ出したことから起きたことがあるかもしれません。それなら責任を感じることはないのです。
